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サロン外伝 第2章 画家ロートレックの生い立ち

画家ロートレックはどういう人だったか? 
生い立ちから触れていきましょう。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックという名前。
苗字(トゥールーズ=ロートレック)の前にドがつきます。
これは、貴族の家柄であるということ。
苗字はトゥールーズ=ロートレックで、ワンワード。
フランス人とお話しするときは、トゥールーズ=ロートレックと言わないと、通じないことも。
でも、日本人は長い名前が苦手、だからブンサロでもロートレックとします。

さてさて、ロートレックは1864年11月24日、フランス屈指の名門ロートレック伯爵家の嫡男として南仏、トゥールーズ地方のアルビに生まれました。
あれ? フランス革命って、1789年ですよね。
革命で、貴族の家はすべてお取りつぶしになったような気がしましたが、さにあらず。
革命でギロチンの露と消えた貴族もいれば、革命後も家を残し、今も末裔が存在する家柄もたくさんあります。

で、トゥールーズ=ロートレック家といえば、フランス人なら誰でも知ってる名家。
祖先はカール大帝の御代まで遡れ、十字軍遠征で手柄を立てたご先祖さまもいます。
南フランスのトゥールーズ地方に広大な土地を持ち、葡萄畑や小麦畑の収穫から得られる利益があり、何不自由ない暮らしが保証されている家柄でした。
父のアルフォンスは、陸軍士官学校を出て、竜騎兵として活躍。
その馬上のプリンスぶりに、一目惚れした従妹のアデールと結婚。
(アデールの生家のタピエ・ド・セレーラン家も、南仏の貴族で、おばあさん同士が姉妹でありました)

そんな名家のセレブなお坊ちゃまが、のちのち、どうしてまた、ムーランルージュなんていう世俗的なキャバレーのポスターなど描いて、デカタンな生活を送るようになったのでしょうか? 
それには、皮肉な運命がありました。

ロートレック家のアンリ坊ちゃまは、うまれつき虚弱体質でした。
頭は良く、パリのリセ・フォンタース(現・リセ・コンドルセ)という名門校に入るために、8歳で両親ともに、パリにお引っ越し(といっても、伯爵家のパリ別宅があったわけで)。
英才教育を受けたアンリ坊ちゃまは、成績優秀賞を受賞するなど、名門のお坊ちゃまに相応しい、神童でした。
でも、身体が弱くて、学校を休みがちになって、ついに10歳にして、泣く泣く退学、南仏のアルビのお城に戻って、それからは、家庭教師をつけて自宅学習という日々でした。
成績がいいと、学校も楽しかろうに! 
お友達とも別れづらかったろうに!
(後に、このリセ時代の友だちと、また親交が復活するのですが、それはまた、ずっと後のお話)
なのに、わずか2年でパリからアルビに戻るとは。
広いお城で、家庭教師とマンツーマンなんて、勉強もつまらなかったでしょう!

そして、このあと、アンリ坊ちゃまを過酷な運命が襲うことに!
貴族のお坊ちゃまから、画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックへの道のりは?

その続きは次回に。

(さらだたまこ)

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