ブンサロについて

トップ » madame » サロンの名花 Vol.1 ミシア・セール~その華麗なる人生~

サロンの名花 Vol.1 ミシア・セール~その華麗なる人生~

ブンサロマダム、さらだたまこの連載は、歴史を彩ったサロンの主宰者、マダムたちの華やかな人生を綴っていくことにいたします。
(ブログに書き込む体ですので、緩い書き方ですがご了承ください。のちのち連載をまとめて、推敲し編集したものも、このサイトにアーカイブしていく予定です)

 

で、最初に登場願うのは、なんと言ってもこのブンサロのイメージマダムとして奉っておりますミシア・セールです。
19世紀、ベルエポックのパリで、サロンの名花として彼女のパトロン活動は実にあっぱれなものでした。
ミシアは、サンクトペテルブルク生まれですが、父がポーランド人、母がロシアとベルギー人のハーフ。
生まれたときの名前は、マリア・ゴデブスカ。いかにもポーランドっぽい名前です。
ポーランドでは、マリアという名をミシアという愛称で呼ぶので、彼女もそう呼ばれたのです。
(ってことは、マリー・キュリーも、幼い頃はミシアって呼ばれて他のでしょうか? キュリー夫人もポーランド人で、本名はマリア・スクウォドフスカ。ミシア・セールより、5歳年上、同時代にポーランドからパリへ・・・、なんかワクワクしますね)

 

横道にそれましたが、ミシアの父親は彫刻家にしてロシア帝国芸術アカデミーの教授、母方の祖父は有名なチェリストといった芸術家の血を引き、ミシア自身も幼いときからピアノの才能に目覚めます。
しかし、16歳でポーランドの大富豪の息子タデ・ナタンソンと結婚し、マダム・ナタンソン(ナタンソン夫人)となります。
つまり、ミシアがマダム・セール(セール夫人)を名乗るようになるまでには、紆余曲折の物語があるわけです。
(それは、連載が進んでいってのお楽しみ!)。

 

で、ミシアの最初の夫となったナタンソン氏は、文芸評論誌『La Revue blanche』の発行人にして編集主幹。
活動の舞台をフランスに移し、パリや、パリの郊外に構えた瀟洒なメゾンで、ミシアと夫婦揃って作家、画家、音楽家などを支援するサロン活動に力を注ぎます。
美しく若いミシアは、今でいうセレブな婦人として、サロンの花となりました。

 

サロンに集った芸術家の中には、ポスター画で売れっ子となったロートレックがいました。
『La Revue blanche』の表紙を、ロートレックが描いたミシアの肖像で飾るなど、夫妻はロートレックと親交を深めていったのです。

 

ロートレックは生まれつき虚弱体質で、成長期に両脚を骨折し、下半身が発育未然でした。
しかし、人なつこくユニークなキャラクターで、サロンの人気者でした。

 

次回は、ミシアとロートレックの親交について、書いていきますね

 

(さらだたまこ)

トップページへ戻る