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生活芸術 序章~社交のためのArt de vivre~

サロンの交流は社交である。
社交にはマナーがある。

 

マナーは別の言葉で、エチケットとか、コードとかプロトコルとも言うが、
フランスではサボワ・ヴィーブルともいう。
Savoir-vivreと綴る。
生き方の知識であり、フランス人はそれをArt de vivre(アール・ド・ヴィーヴル)、
すなわち生活芸術とイコールと考える。

 

フランスのブルゴーニュで親しくなったムッシュー・ガトーは、
私やマダムたまこに滞在する部屋を貸してくれる家主だった。
(ブルゴーニュの小さな町での暮らしぶりは、たまこ女史の著書にくわしい)


「決して裕福ではない農家の生まれ」と彼は言った。
5人兄弟の長男で、義務教育の途中で菓子職人(パティシエ)を目指し、
職業訓練校のコースを歩んだ青春時代に、
アッパーな社交マナーを身につける余裕などなかったという。
けれど、パリの一流のパティスリーで働くようになると、
トゥレトゥール(ケータリング)で、エリゼ宮に出入りするセレブ達の自宅に仕出しもするようになり、
一人前の職人として胸を張るには、腕も磨くこともさることながら、
Art de vivreを身につけることも問われたという。
「要は、場数を踏むことだね」

 

日本でもスイスのフィニッシングスクール(ヨーロッパ有数のマナー学校はスイスと相場が決まってる!)を出た帰国子女が主宰するマナー教室がある。
そういうところで学ぶのが、日本人にとっては最短コースかもしれない。
だが、ムッシュー・ガトーのいうように、最終的に身に付くかどうかは、実践の場数であろう。

 

もっとも、便利な参考書はある。
フランスでは、女性向きの雑誌にはしばしば、サボワ・ヴィーブルの特集記事が掲載されていた。
こういうことに、アンテナが動くたまこ女史は、みつけるとすぐにクリッピングしていたし、
フランス語で書かれたサボワ・ヴィーブルの本をせっせと買い込んで、日本に持ち帰っていた。

しかしながら、マナーを身につける目的は、
セレブを気取って、うわべだけ恰好をつけようというのではない。
見栄講座でにとどまっては意味がない。
(わたしは、ホイチョイさんの見栄講座は愛読しているけどね)

あくまでも、普段の暮らしを"アート"にしようという考えのもとなのだ。
英語には、Art for Life's Sake という言葉がある。
生きるための芸術。

 

世の中が行き詰まって閉塞感があふれてくると、芸術うんぬんは後回しになりがちだが、
それでは、文化が廃れる。
 

 

ここ数年、私たちの暮らしは、ますますカジュアルダウンの傾向にある。
ドレスアップすることと、対極の方向にモードが動いている。
それはそれで、洒落ていて、本当の意味でのセンスが問われるが、
そんな流れの中で、マナーやエチケットが、うっかり埋もれて忘れられようとしている。

 

ごくごく身近な、毎日の生活に、アートはいくらでも見出せ、創造できる。
プロトコルはIT用語の前に、社交の基本用語であった。
プロトコルで埋め尽くされた社交には、そういうことに縁遠いと息苦しさも感じるが、
自分の視点の高さで見直していくと、
それは、すべて楽しい生活芸術の羅針盤となる。

 

前置きが長くなったが、次回から、様々な時代に生きた生活芸術家の人生を紐解きながら、
これからの時代に、どんな生活芸術を構築していこうか?
楽しみながら、筆を進めたい。

(桜沢琢海) 

 

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